カテゴリー: Uncategorized

いじめの経験から、対人関係の不安が強いYさんの場合

40代女性のYさんは両親からちゃんと愛された記憶が薄く、自己肯定感が低いまま成長し、学校では数々のいじめに遭ってきました。社会人になってからは対人スキルを少しずつ身につけ、激しいいじめに遭うことはなくなったものの、今でも「人がこわい」という気持ちがどこかにあり、人の輪に入るときにはとても勇気がいるとのことでした。

最近、参加するようになったある趣味のグループでイベントがあり、Yさんはそのイベントに出席したいと思っていました。その趣味のグループも、はじめのうちはなかなか心を開けずに緊張のしどおしでしたが、さいわいあたたかいメンバーの人たちに助けられ、少しずつ雰囲気に慣れてきているところだったので、イベントへの参加も楽しみにしていたのです。

が、イベントの日が近くなってから、「申し訳ないんだけど、参加人数が多すぎるので初心者の人、日が浅い人は遠慮してもらえないか」という連絡が主催者からありました。Yさんはしぶしぶ参加のキャンセルを承諾しました。が、参加できずに残念だという気持ちとともに、「もしかして、『参加しないで』と言われたのは自分だけなのではないか。自分を仲間外れにしようとしているんじゃないか」という思考が浮かびました。その考えはどんどん頭の中で膨れ上がり、仲良くしてくれたメンバーたちも、本当は意地悪な人たちだったのではないかと思い始め、「いい大人なのに情けないのですが、その場で涙が止まらなくなってしまいました」と言います。

結局、出席者が多すぎて他にもイベントに参加できなかった人たちがたくさんいたことが分かり、その思考はYさんの思い込みだったことが分かりました。Yさんは「メンバーの人たちは本当に良い人たちなのに、疑ってしまった」と自分を責めました。が、何度となくいじめに遭ってきたYさんにとっては「自分だけ仲間外れにされているのでは」という不安が頭の中を占めてしまったのは、自然なことかもしれません。

不安はとかく嫌われやすい感情ですが、正常な感情です。「同じ失敗を繰り返して傷つかないように」と、心が警告を出しているようなものです。過去の失敗や心の傷みを完全に忘れてしまっては、同じ失敗を繰り返して、もっと傷つくかもしれないからです。不安が沸いてきたら、「もう一人の自分が警告を出している」と客観的にとらえてみるだけでも違うと思います。そのもう一人の自分に対して、「そうだね、不安だよね。また失敗するかもしれないけど、でも挑戦してみたいんだよね」「また傷つけられるかもしれないけど、過去に出会ったあの人と、目の前にいるこの人は別人。もう一回、人を信じてみたいんだ」と伝えてみます。「そんなこと言っても、絶対にまた傷つくよ…」という葛藤が生じるかもしれません。でも、その葛藤も味わいながら、自分の中で対話を続けてみてください。その場で結論が出なくても、今回は挑戦を見送ったとしても、少しずつ不安をコントロールする力がついていきます。

怒りでしか自分を表現できない人

いつも誰かに対して怒っている人、
すぐに声を荒げる人、
常にイライラしていて機嫌が悪そうな人っていますね。

そんな誰かに振り回されて困っている人もいれば、
「まさに自分がそう!」で困っている人もいるかもしれません。

よく言われるのは「怒りは二次的な感情」であり、
怒りの下には必ず寂しさ、悲しさ、不安といった気持ちが
隠れています。

怒りっぽい人というのは不安でいっぱいだったり、
自分はすごく傷ついている!という気持ちになっている人、
という見方もできます。

とはいっても、
「えー、まさかあの人が?そうは見えないけど…」とか、
「いやいや、私は傷ついてなんかいるんじゃなくて純粋に
怒っているんです」
と言いたくなるかもしれませんね。

怒りは、怒りっぽい人にとってはもっとも表現しやすい感情です。
もっと言うと、様々な感情を怒りという形でしか表現できない人
なのかもしれません。

本当は不安でうろたえていたり、
本当は寂しくて胸が張り裂けそうだったり、
本当は悲しくて泣きたい気分。

でも、そんな風にふるまうぐらいなら死んだほうがまし!
というぐらい、プライドが高いのも彼らの特徴だったりします。

泣き出したり、うろたえたりするのは弱い人がすること。
怒っていれば、少なくとも弱く見られることは避けられる。
そう考えるので、怒りは便利な感情表現の方法なんですね。

そして、ますます「怒る」の一点集中型で気持ちを表現してきます。

それだけ「怒る」スイッチばかり入れていると、
次第に年季が入ってきます。

つまり、怒ることに関してはプロ級の腕前になっていくので、
怒りで相手を威嚇したり、委縮させたり、怖がらせたりするのが
どんどん上手くなっていってしまうんですね。

そうすると、本当は不安だったり困っていたりする気持ちが
周りからは見えなくなってきます。

そして、
「とてもじゃないけど不安そうには見えないわ」
「傷ついているならそれなりの態度とるでしょう、普通」
と周りに思われるような、
どこから見ても「ただの怒りっぽい人」になっていきます。

そうすると、怒りっぽい当人はますます
「自分の気持ちを周りは分かってくれない」と感じて、
そのフラストレーションを表現するためにさらに怒る…

怒りはたしかに大事な感情のひとつですが、
「この怒りは自分や周りの人を幸せにしているか?」と
立ち止まるのもひとつですし、
「なぜその人の怒りを引き受けなければいけないと
思ってしまうのだろう?」
と考えてみるのもひとつだと思います。

カウンセラーの、頑張っていることに気づいていない人たちの見分け方

カウンセラーの、頑張っていることに気づいていない人たちの見分け方

カウンセリングをしていると、
「この人はものすごく頑張ってきたんだな」と
思うことがよくあります。

親から十分愛されてこなかったのに、一生懸命親を理解し、愛そうとしている人。

自分の今の感情も分からなくなってしまうほど、いろんなことを我慢して、耐えてきた人。

身体を壊すほどハードワークをしてきているのに、尚も働き続けようとする人。

「カウンセリングは、もともと真面目な人がもっと真面目になろうとして来る場所」

なんて言葉もあるぐらい、まじめで一生懸命な努力家が多いです。

「自分はすごく頑張ってきて、今ヘトヘトです」

という自覚がある人はいいのですが、

自分がどれほどがんばっているか、自覚がない人たちも沢山います。

擦り切れそうなぐらいがんばってきて、でも自覚がないので、

「なんだか調子が悪い」
「最近何をしても楽しくない」

といった理由でいらっしゃることが多いです。

がんばっている自覚があるかないかを見分ける質問として、

「とても頑張ってこられたんですね」

と聞くときがあります。

我ながら頑張ってきた!
頑張ってきたことをそろそろ認めても良いのかも。

こう感じている人は、

「(少し照れた様子や、うれしそうに)そうなんですかね…」
「ありがとうございます」

と言いながら、ほっとした様子で笑顔を見せられることが多いと感じます。

こちらの承認(誉め言葉)を、ちゃんと受け取ることができているんですよね。

一方、自分が頑張ってきている自覚がない人の場合は、

「いやあ…」
「(無表情か、ぼんやりとした感じの表情で)そうなんですかね…」
「そんなことないです」
「他にもっとがんばっている人いるし…」
「大した事はしてないんですけど…」
「ありがとうございます、でも、これぐらい出来て普通かな…」

こんな反応がかえってくることが多いと思います。

誉め言葉を素直に受け取れない、
受け取ったように見せているけどどこかで否定している感じ。

そして、周りと比較し、せっかく積み上げてきた努力も無に帰そうとしている印象を
受ける反応だと思いませんか?

「とにかく頑張れ」「そんなことでどうする」と叱咤されることが多かったり、
「Xちゃんはもっと出来るのに」と比較されたりしてきたら、

頑張っていることを素直に認められなくなるのも当然ですよね。

でも、それを続けると

「なんだか調子が悪い」
「最近何をしても楽しくない」

ということが増えてくるんです。

「謙遜は美徳」とする日本的精神も悪いものではないかもしれませんが、
自分の調子を崩してまで大事にするべき美徳でしょうか。

褒められたら、とりあえず「ありがとう」と受け取ってみるところから
始めるのはどうでしょう。

早く回復したくて焦ってしまうときに見えづらくなってしまうもの

なぜか、自分の人生はいつもうまくいかない気がする。
他の人たちと自分は何となくちがう気がする。
他人の持っている悩みと自分の持っている悩みは、質が違う気がする…

こうした自分の中の問題に気づき、その問題が家族関係や
トラウマと深くかかわっていることを知ったあと、

自分の中に起きている問題の深さと、
回復への道のりの長さから、
「一日も早く良くなりたい」
と焦ることも出てくるのではないでしょうか。

適切なカウンセリングを受けたり、
いろいろな本を読んでみたり、
気になるセラピーを受けてみたりと、
行動に移すのはすばらしいことです。

ただ、焦りが強すぎると忘れられがちになってくるのが、
「自分に合ったセラピー」
「自分に合ったセラピスト」
「自分に合った回復方法」
です。

「自分に合った」というのがポイントです。
セラピーは、古くからある精神分析から最新のマインドフルネスなどまで
本当にたくさんの種類があります。

クライアントの話す内容を中心に展開するものから、
身体感覚を使うもの、
音楽や絵画などのアート面からのアプローチをするもの、
グループでおこなうもの、個人でおこなうもの、
多種多様です。

同じように、本にもたくさんの種類がありますよね。
理論的なアプローチを述べていたり、
分かりやすさを第一に書かれていたり、
日本人が書いたもの、外国人が書いたもの、
著者も精神科医、セラピスト、元患者など様々です。

回復を焦るうちは、
「とにかく何でも吸収したい」
と片っ端からセラピーを受けてみたり、本を読んでみたり
するかもしれません。

でも、一通りどんなアプローチがあるのかを知ったら、
次は
「この中で自分に合っているものは何か?自分が好きなのはどんなものか?」
「逆に、どんな内容は合っていない、苦手と感じるのか?」
を感じてみたらよいのではないかと思います。

あるセラピストが「もっと自己中になれ」と言う一方で、

ある癒し系の本には「他人をもっと思いやり、利他的になれ」
と書いてあるかもしれません。

どっちが正しいの?と思うかもしれませんが、
そのどちらとも、それぞれの理論に根付いた正しい主張です。

そこで判断基準になるのは
「自分はどちらが好きか」「気になるか」「合っていると感じるか」
ということです。

なぜ、その理論が好きだと感じたのか?
なぜ、そのアプローチが嫌いだと思ったのか?

「認知行動療法はわかりやすくて好きだけど、
マインドフルネスはなんだか退屈で苦手」

「論理療法は理屈っぽくていやだけど、
自分の感性が活かせるアートセラピーは好き」

でも全然いいのです。
今の自分に合うものは自分にしか分からないというところが
あるはずです。

今は苦手でも、何年かしたら好みが変わってくるということも
大いにありえます。

今、自分が回復に焦っていて「思考優位になっている」と感じたら、
自分の感覚に立ち戻って「何が好きか、何が嫌いか」
ということを見つめてみると良いかもしれません。

なぜか分からないけど「自分のせい」だと思ってしまう理由

上司が不機嫌そう、
親が疲れた声で電話をしてきた、
パートナーが仕事でイライラしている、
友達が困っていて不安そう…

こんな人が近くにいると、なんだか気分が落ち着かないと
感じることがあるかもしれません。

マイナスの感情に揺れている人が近くにいると、
自然と気になってしまいますよね。

気になるだけならまだ自然なことだと思います。

でも、

「相手が不機嫌なのはなんだか自分のせいのような気がする」
「自分は関係ないはずなのに、何かしなくてはいけない気がする」

と感じるとしたら、少し注意が必要かもしれません。

頭ではきっと、自分には関係ないことだと分かっているのです。

でも、心がざわざわして、
相手のマイナスの感情が自分のせいのような気がしたり、
自分が相手に何か働きかけなくてはいけないと思うとしたら、

それは相手と自分の間の境界線(バウンダリー)が引けていない
ということです。

相手のマイナスの感情は、あくまでも相手の問題です。

でも、それを自分の問題かのように感じてしまうのは、
相手と自分の感情の境目があいまいだからです。

あいまいになってしまうのは、

「お母さんはいつも不幸そうだった。子供ながらに、
それを見ているのがイヤで、無理やりピエロ役をして
励まそうとしていた」

「お父さんにはいつも理不尽なことで怒られた。
お父さんの機嫌がいつも悪いのは自分のせいなのかも、と
思ってよく落ち込んだ」

といった体験がある場合が多いです。

子どもは、親と自分は別の人間であるという感覚が
薄いです。

その感覚を持ったまま大人になると、他人と自分は
別の人間であり、自分は他人の感情にまで責任を
持つ必要はないという意識が薄いまま成長してしまいます。

不機嫌な人を見過ごしたり、関係ないと割り切ったりすると
自分が冷たい人間のように感じるかもしれません。

または、割り切ったことによって、何か悪いことが
起きると感じてしまうかもしれません。

それでも、どんなに近い仲でも相手の感情は相手のものです。

相手の感情に対して何かしなくては、と責任をとろうとして
しまうと、相手は依存的になってきたり、「機嫌をとってもらって
当然」という態度になってきたりします。

そしてあなたはますます苦しくなってしまいます。

相手の感情は相手のものであり、同じように自分の感情も
自分のものです。

マイナスの感情を持っている相手をそのままにしておくことは
冷たいことでもこわいことでも何でもなく、ただ当然のことです。